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2014年07月20日

藤白台地区とは?

大阪の都心から北へ15km(阪急千里線で梅田から約30分)、北千里駅の東側にひろがる町が藤白台(ふじしろだい)です。戦後まで竹林、雑木林、田畑がおりなすのどかな近郊農村…山田村(やまだむら)の一角でしたが、1960年代、日本で最初の大規模ニュータウン計画である「千里ニュータウン」の開発にともなって先進的な住宅都市に変貌しました。

藤白台は吹田市の最北部にあたり、東には大阪大学吹田キャンパス、1970年に大阪万博が開かれた万博記念公園と隣接しています。藤白台の北部には大きな千里北公園もあり、緑はいっぱいの環境です。1980年前後から藤白台に隣接した上山田(かみやまだ)にもマンションが立ち並ぶようになり、同じ小学校区に繰り入れられ、あわせて「藤白台地区」を形成しています。

高度経済成長期に短期間で開発されたニュータウンでは建物の老朽化、住民の高齢化など、町の「オールド化」も急速に進む現象が見られましたが、2005年頃から集合住宅の建替計画が進められ、町は大きく変わりつつあります。藤白台はもともとたいへん大きく、中にさまざまなバラエティがあります。

藤白台一丁目…南半分は社宅街、北半分は府営住宅として開発されましたが、1980年代なかばから社宅が売却されて民間マンションに変わってきました。このため比較的若い一角になっています。府営住宅では順次建替が進められ、高層化して生み出された土地には民間住宅の建つことが見込まれています。


藤白台二丁目…戸建住宅街の南半分が二丁目+「近隣センター」(ゆらら藤白台)を含んでいます。近隣センターは2003年に建て替えられ、上はマンションになりました。


藤白台三丁目…藤白台の真ん中、バス通りに囲まれた区画です。北半分が公社住宅、南半分が府営住宅になっていましたが、いずれも建替が進み、民間マンションが増えています。小学校、ふじのき公園、藤白公園も三丁目です。


藤白台四丁目…戸建住宅街の北半分が四丁目です。幼稚園、保育園があります。


藤白台五丁目…広大な千里北公園、金蘭、自然体験交流センター、北千里高校、循環器病センター跡地などを含んでいます。ごくわずかに住宅もあり、まさに吹田市の一番北です。


上山田…ニュータウン開発後も昔の面影をとどめていましたが、1979年から順次、マンション群に変貌しました。開発が遅かったために住民が若く、藤白台小学校の児童の半分が上山田だった時期もありましたが、今はその時期も過ぎて児童数は減りつつあります。


千里万博公園13番…広大な千里万博公園の西口と消防署の間、13番だけは住宅があるため、藤白台地区に入っています。


…このように開発や建替の年代が少しずつずれている区画を含んでいるため、全体としてはバランスが取れ、自治会などの地域活動が活発に行われていることが藤白台の特徴です。

ニュータウン開発前からこの土地にいた人はごくわずかで(藤白台の中には人家はありませんでした)、全員が、この50年あまりの「よせあつめの町」とも言えるでしょう。新大阪や大阪空港にも千里中央からわずか13分で行けるため、転勤族や、出張などが多い仕事の人も多いです。

そのために「大阪らしい」コテコテ感は少なく、つきあいはややあっさりしているかもしれませんが、それで盛り上がる時には盛り上がる…というのは、なかなかのものではないでしょうか!?


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